産業

ビジネスモデル先用後利の代表格!越中富山の売薬さんから見る富山の薬

富山と言えば『売薬さん』。売薬さんと言えば『富山』。

それぐらい売薬さんで日本全国へ広まった『薬』は富山のイメージと良いほど代名詞になっています。

利用しないことが一番ではありますが、誰もが生活する上で欠かせない『薬』。

なぜ、ここまで富山の『薬』が日本全体に広がったのか、そして現代の医療に富山の『薬』がどのように関わっているか見ていきましょう。

 

先用後利で始まった富山の売薬さん

皆さんのご家庭には常備薬などはありますか?

お子さんが居るご家庭や、持病があるご家族が居るご家庭であれば必要な薬を常にストックしているかもしれませんね。

ただ、意外にストックしていた薬をいざ使おうとすると使用期限が過ぎていた…、という経験があるかもしれません。

 

そんな古くなる前に薬の交換はもちろん、家庭に置いてあるだけで使用しなければ一円もかからないというのが売薬のシステムです。

売薬さんは各家庭に訪問し常備薬を箱に入れて設置していき、一定期間が経過したら設置した家庭に再度訪問し、古くなった薬を新しい薬に交換し、使用した分の薬代のみを請求する先用後利(せんこようこうり)を行っていました。

売薬さんの富山の始まりとしては江戸時代からとなり『先用後利』はその当時の、買ってから使うというのが当たり前の商い方法を根底から変える画期的なビジネスモデルだったのです。

 

富山の売薬さんが何故、日本全国へ?

先にご紹介した通り富山の売薬さんが始まったのは江戸時代までさかのぼります。

富山藩のお殿様(富山藩第2代藩主・前田正甫)が、自分がいつも持っていた薬『反魂丹』を江戸城にて腹痛になった他のお殿様にあげたところ、たちまち腹痛が治りそれを見ていた他のお殿様たちが『是非、その良く効く薬を地元にも』という声を受けて、富山のお殿様は富山の薬種問屋を集め、多くの方に富山の薬『反魂丹』を広めてほしいと依頼し、売薬事業が始まったようです。

その際に、富山のお殿様は利益を追求する売り方ではなく、日本全国の多くの方に『反魂丹』良さを知ってもらい、使って良い物であればお金をもらうという『先用後利』の方法を提案したと考えられています。

日本全国を回る事になり、今の時代のように車や新幹線があるわけもなく、体力的に非常に大変な一大事業になるわけですが、富山にはご存じ『立山連峰』があり立山信仰の中に人助けをすれば極楽浄土へ行けるという教えの元、売薬さんが日本全国へ富山の薬を広げに回ったようです。

 

富山は薬の宝庫?

江戸時代の売薬さんのおかげで、富山の薬は全国に響き渡る有名な産業となりましたが、では富山では薬となる原材料が多く取れるのでしょうか?

答えは何とビックリ、NOなのです。

富山で取れる原料も多少はあるのだと思いますが、江戸時代はその多くを堺(現在の大阪)の商人から買って、北前船を使い水路で富山へ運んでいたのがほとんどのようです。

 

ですので、富山=薬には決して元が取れる場所での繁栄ではなく、地道な製薬に対する努力や、売薬による販路拡大が有名になるきっかけとなったのかもしれませんね。

 

現代の富山での医薬品

現在の富山県でも医薬品製造に置いては、医薬品生産額が日本のトップ3に毎年ランクインするほどの生産額を持っており現代でも薬の富山は健在です。

特に今の富山では後発医薬品(ジェネリック薬品)の生産が盛んで各企業の工場が富山県に多く点在しています。

 

ちなみに、余談にはなりますが富山県にある有名な医薬品製造会社としては日医工(ジェネリック薬品製造トップシェア)、池田模範堂(夏の定番、ムヒの製造会社)、富士薬品(ドラッグストア『セイムス』や現代の配置薬)等など医薬品製造会社だけでも60社近くの企業が富山県内にあります。

 

また、現在世界的に流行し、多くとの都市を閉鎖に追い込んでいるCOVID-19(新型コロナウイルス)に治療効果が期待され、治験プロセスが開始されることになった『アビガン』(一般名ファビピラビル)を開発したのは富山大学医学部教授の白木公康さんと、現在は富士フイルム富山化学工業に名前を変更した旧:富山化学工業による共同開発で生まれた医薬品になります。

(元々は新型インフルエンザの治療薬として開発され、中国で新型コロナウイルスの治療効果が確認されたことにより、治験が開始される模様)

 

昔から各家庭にあるような常備薬はもちろんの事、先端の医薬品まで富山県では研究開発・製造がされています。

 

 

売薬さんで有名になった富山の『薬』。私の実家でも中学生ぐらいまでは半年に1回ぐらいの頻度で売薬(営業)さんが来て、新しい薬に取り換えていってくれる姿をよく見ていました。

売薬さんは小さな子供のいる家庭に来るときは必ず簡単なおまけを持ってきてくれ、子供ながらにそれを楽しみにしていた事を思い出します。

(3人兄弟の末っ子だったので、大抵は兄に持っていかれましたが…)

祖父とは最近あった出来事や、他県で聞いたり見たりしたことを色々と話をしていました。

 

昔の時代であれば今のようにインターネットがあるわけでもなく、限られた情報しかなかなか手に入らなかった時代を考えると、日本全国を回る売薬さんから聞く情報というのは人々にとって貴重な情報源だったのかもしれませんね。

-産業