6月下旬頃に都内のスーパーやホームセンターへ行くと、『お盆特設コーナー』というのを度々目にすることがあり、東京へ来たての頃は「東京の人はお盆の準備を早く始めるんだなー」と思っていたのですが、実は…、なんと東京ではお盆の期間が富山とは違っているのです!
今回はそんな富山と東京のお盆の期間の違いをお伝えできればと思います。
東京のお盆は7月15日を中心に
東京のお盆は一部地域(主に多摩地区)を除いて7月15日を中心に、7月13日~7月16日に行われるのが習慣のようです。
この7月15日を中心行われるお盆を『新盆(にいぼん)』と呼ばれているようです。
そして、富山のお盆はというと8月13日~8月16日の『旧盆(きゅうぼん) ※月遅れ』と呼ばれています。
東京の新盆も富山の旧盆も共に16日は『盆明け』となっています。
この新盆と旧盆のお盆の期間の違いは、日本全国でみると圧倒的に旧盆(8月13日~8月16日)で行っている地域が多く、新盆は東京や一部の地域のみのとなっています。
ちなみに、富山のお隣の県、石川県金沢市の一部では新盆に行う所もあるようです。
何故お盆の時期は異なるの?
では、そもそも何故お盆の時期が二つあるのか?
多少の誤差はあるものの、実は元々のお盆の期間は各地域で7月15日前後に行われていました。
そして、それが二つの期間になったのはカレンダー(暦)が関係しています。
明治時代に時の明治政府が今まで国内で使っていた太陰暦(旧暦)を、国際社会と足並みを揃えるために太陽暦(新暦)に変更したからです。
この変更のタイミングが明治5年12月2日に行われ、通常翌日は12月3日になるのが明治6年1月1日になり、約1ヶ月のズレが生じたかたちになります。
それによって諸説あるものの、新暦のお盆に当たる7月15日前後(旧暦では6月)は、当時農家が多かった日本各地では、農繁期と重なることからその時期を避け、1ヶ月遅れの8月15日前後(元々の旧暦の7月)に浸透したようです。
ですので、当時から農家の少なかった東京や、農繁期とは重ならなかった地域ではそのまま新暦の7月15日を中心としたお盆文化が定着していった模様です。
太陰暦(旧暦) |
太陽暦(新暦/現在) |
明治5年12月3日 | 明治6年1月1日 |
1月 | 2月 |
2月 | 3月 |
3月 | 4月 |
4月 | 5月 |
5月 | 6月 |
6月 | 7月(新しい新暦のお盆) |
7月(元々の旧暦のお盆) |
8月 |
富山のお盆
東京などではホームセンターやスーパー等で精霊馬や精霊牛(ご先祖様に馬に乗って早く来てもらい、牛に乗ってゆっくり帰ってもらう為のお供え物)のセットなどが数多く陳列されているのを見かけますが、富山に住んでいるころはあまり見かけなかったような気がします。
また、私の住んでいた地域だけかもしれませんが送り火や迎え火といった風習もありませんでした。
富山県内も広いので地域によっては先の風習などもあるのかもしれませんね。
実際、私の実家でのお盆と言えば、8月13日に親戚のお墓参り回りがメインでした。
このお墓参り回りが何と、、、1日がかりになるのです。
もちろん集合墓地などもあるのですが、結構なお家が自宅や自宅とは別の敷地にお墓を建てているので、同じ市内だけでも移動距離が半端ないのです、、、。
また地方ならではの親戚筋が多いということも1日がかりになる要因です。
回る量が多い分、ロウソク・線香・お花の消費量が桁違いです、、、。
ちなみに、富山のお墓で特に、自宅や自宅とは別の敷地にあるお墓の大きさが本当に半端ないぐらい大きいのです。
県外の人が見ると「有名人のお墓?お金持ちのお墓?」と勘違いされるレベルです。
集合墓地などでも一般的な大きさの区画を2~3区画を購入して大きいお墓を建てられる方もおられたりします。
また、中級程度のお墓でもほとんどが灯篭付きの立派なお墓ばかりですので、富山県内をブラっとする機会があれば、少し気に留めて見て頂ければと思います。
まったくの余談ではありますが、私の誕生日が8月13日ということもあり、誕生日イコール、お墓参りの日というのが未だに抜けきれません、、、。
※※尚、記載した新盆・旧盆の期間は地域やその年のカレンダーによって若干の変動があります。