西部 観光

富山県唯一の国宝、高岡市瑞龍寺!ビックネームの霊廟とは!?

日本全国の建造物で国宝数は令和2年3月時点で227件(290棟)あります。

内、上位を占めるのは奈良県が64件、京都府が51件、滋賀県が22件と関西エリアに多く集中しています。

理由としては諸説あるようですが、飛鳥時代から安土桃山時代(戦国時代)にかけて、多くが関西地方中心に政治が行われていたこともあり、国宝になる貴重な建造物が多かったのではないかと思いますね。

(同じく国宝の美術工芸品では、京都の183件を抜いて東京が279件という驚異の数字もあります…。これは東京に集まってきた数字なのか、それとも徳川の貯蔵品の数字なのか個人的にはメチャクチャ気になります…)

 

さて、前置きはこれぐらいにして、そう、今回は富山県内にある国宝をご紹介します。

ズバリ!富山県には国宝の建造物は1件(同一件数で3棟が登録)のみなのです。

その1件が富山県西部に位置する第二の都市、高岡市の『国宝 瑞龍寺(ずいりゅうじ)』です。

今回はそんな富山県唯一の国宝をご紹介していきます。

 

国宝 瑞龍寺とは?

『国宝 瑞龍寺』へは北陸新幹線の新高岡駅より徒歩15分で行ける場所にあります。

正式名所は『高岡山 瑞龍寺』で曹洞宗のお寺です。

 

加賀藩2代目藩主の前田利長公(NHK大河ドラマにもなった『利家とまつ』の息子)の菩提寺として3代目藩主、前田利常公が1614年(慶長19年)に創建されました。

 

建物しては総門・山門・七間浄頭(東司)・浴室・僧堂・大庫裏・仏殿・回廊・鐘楼・大茶道・法堂になります。

上記の内、七間浄頭(東司)・浴室の2箇所に関しては現在は無いものの、昭和・平成の大修理の際に跡や礎石を発掘調査で確認しているようで、将来的には再建できる準備が出来ており、七堂伽藍(しちどうがらん)が全て揃った状態で見ることも可能かもしれませんね。

※七堂伽藍(山門・本堂・講堂・庫裏・食堂・浴室・東司の事)

 

この建物の内、仏殿・法堂・山門の三つが平成9年に国宝指定され、日本国内で実に30年ぶりに新しい国宝指定を受けた建物が出来、富山県内では瑞龍寺ブームが起きて私も中学の遠足か社会見学で見に行ったことを覚えています。

 

この三つの国宝以外の建物、総門・禅堂・大茶堂・高廊下・北回廊(大庫裏と鐘楼付属)・南東回廊・南西回廊が国の重要文化財の指定を受けています。

 

瑞龍寺の山門をくぐり、仏殿(正面)を見渡すと恐ろしいくらいに左右対称の配置になっており建物の大きさと敷地の広さも相まって壮観な姿を見ることが出来ます。

この左右対称の配置は、奈良時代まではどの宗派も本堂を中心に左右対称になるように建造していたようですが、山地などにも建てられることが多くなり、現在は不規則な配置になっていることもあるようです。

しかし、瑞龍寺の宗派の禅宗系統は現在も左右対称の配置を色濃く守っているため、日本人が奇麗と思える黄金比を身近で目にすることが出来るようです。

 

 

瑞龍寺の霊廟にある戦国ビックネーム!

先にお伝えした通り瑞龍寺は加賀藩2代藩主の前田利長公の菩提寺として創建されました。

そもそも菩提寺とは先祖の位牌が納めてあるお寺で、先祖の御霊を供養するための場所です。

ですので、瑞龍寺には加賀藩2代目藩主の前田利長公の墓所があります、というか菩提寺ですからあって当たり前なのです。

 

加えて、瑞龍寺の霊廟がある場所には加賀藩開祖の前田利家公の霊廟があります。

これも、利長公にとっては実の父であり偉大な加賀藩開祖ですから納得できます。

 

実は瑞龍寺に5基の霊廟(石廟)があり、前田利家公、前田利長公の2つに加え、なんと

織田信長公、織田信長公の側室、織田信忠公の3つの霊廟があるのです。

 

織田信長公…、これを言っては元も子もないのですが、菩提寺の主たる前田利長公を知らない人は悲しいかな多いと思いますが、織田信長公の名前を知らない日本人はいないのではないでしょうか?

そう、歴史好きの中で必ず上位にランクインする好きな戦国武将の一人、あの織田信長公の霊廟が瑞龍寺にはあるのです!

前田家の菩提寺に何故に織田家の霊廟が…?

 

これは、前田利長公の奥方が織田信長公の娘、永姫だったからではないでしょうか?

大河ドラマでも描かれていたように利長公と永姫(は両親(利家公とまつ)のように仲が良い夫婦だったようで、その奥方の父親である信長公と側室、そして兄弟の信忠公を供養していても何ら不思議ではないのかもしれません。

当然、ご承知のとおり信長公は本能寺の変で亡くなっており、遺骸すら出てこなかったといわれていますので、この霊廟には遺骨はなく御霊のみという事にはなりますが、利家公が織田家に仕え、そこから脈々と前田家と織田家の繋がりが残っていたという壮大な歴史ロマンを感じれる場所かと思います。

 

残念ながら利長公と永姫との間には実子はいなかったようですが、もし、実子がいて脈々と受け継がれていれば現代において織田家直系の血筋があったかもしれませんね。

 

 

さて、今回の国宝 瑞龍寺は如何だったでしょうか?

 

富山県内唯一の国宝ではありますが、一つでも十分な位な壮大・優美を兼ね揃えた建造物なうえ、歴史ロマンがいっぱい詰まった場所です。

 

また場所も、北陸新幹線の新高岡駅から徒歩15分とは思えないくらい静かな城下町の中にあります。

静けさとお寺を抜ける風を感じながら歴史ロマンに浸ってみては如何でしょうか?

-西部, 観光